大判例

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東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)96号 判決

原告

エルンスト・ライツ・ウエツラー・ゲゼルシヤフト・ミツト・ベシユレンクテル・ハフツング

被告

特許庁長官

右当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

特許庁が同庁昭和52年審判第6782号事件について昭和55年12月8日にした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

原告は、主文同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「筒状のレンズマウント」とする発明(以下、「本願発明」という。)につき、1970年ドイツ国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和46年12月15日特許出願をしたところ、昭和52年1月6日拒絶査定を受けたので、同年5月31日これに対する審判を請求し、特許庁昭和52年審判第6782号事件として審理されたが、昭和55年12月8日右審判の請求は成り立たない旨の審決があり、その謄本は同月17日原告に送達された(なお、出訴期間として3か月が附加された。)。

2  本願発明の要旨

筒状マウント部材の内壁面上の少なくとも3か所に押圧された溝を設け、そのそれぞれの溝の両脇にできた膨隆部によつてレンズ支承用の突条3を形成させてなる筒状のレンズマウント。(別紙図面(1)参照)

3  本件審決の理由の要点

本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

これに対し、本願発明の優先権主張日前に日本国内において頒布された刊行物である実用新案出願公告昭43―14253号公報(以下、「第1引用例」という。)には、板状構造物に突出させた結合用筒部の内壁に、軸方向にローレツトを形成し、これに軸を圧入すれば軸が取付けられる構造(別紙図面(2)参照)が示されており、同じく商工出版社昭和32年発行オー・リヒター著「精密機器の要素Ⅰ」第80頁ないし第82頁(以下、「第2引用例」という。)には、円筒に軸を圧入固定する際、軸の周辺に多数のすじ目をつけたり、円筒の穴の内部にブローチを用いて溝をつけて、両者を嵌合固着するもの(別紙図面(3)参照)が示されている。

本願発明とこれらの引用例を比較すると、両者は円筒内に断面円形の物体を嵌合固着させるために円筒内壁に複数の膨隆部からなる支承用の突条を設ける点で同一であるが、本願発明は、(1)レンズマウントであること、及び(2)膨隆部は押圧で溝を作ることにより生ずることの2点で各引用例と相違する。

そこで、前記相違点について検討するに、相違点(1)については、引用例の如き嵌合手段が精密機器における慣用手段であると認められるので、この点に格別の相違は認められない。相違点(2)については、押圧により周辺を膨隆させることは切屑の生じない効果がある旨請求人(原告)は主張しているが、一般に可塑性物体や弾性体を押圧すれば押圧部の周辺がもりあがることは良く知られているので、これを突条の作成に応用することは当該技術部門の者が容易に想到するところであり、その効果も予測の範囲を超えないものと認められる。

したがつて、本願発明は各引用例のものから当該技術部門の者が必要に応じて容易に発明できたと認められ、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

4  本件審決の取消事由

各引用例の記載内容が審決認定のとおりであることは争わないが、本件審決には、次のとおり、これを違法として取消すべき事由がある。

1 審決は、本願発明と第1引用例及び第2引用例との次のような相違点を看過している。

本願発明は、明細書の特許請求の範囲に明記されているように、「内壁面」、そこに「押圧された溝」及び「溝の両脇にできた膨隆部」の組合せを有するものである。したがつて、3つの高さのレベルの部分、すなわち内壁面と、溝(内壁面よりも低い)と、その両脇に膨隆部として形成された突条(内壁面よりも高い)とが存在する。別の観点からみれば、2本の突条の間に1本の溝が存在し、かつ、一方の組の突条と他方の組の突条との間には内壁面が帯状に存在するのである。

これに対し、第1引用例及び第2引用例はローレツト加工により多数のすじ目をつけて軸を円筒に圧入固定する構造例を示している。本願発明における「溝」とその両脇の「膨隆部」とそこに続く「内壁面」との組合せは、ローレツト加工のすじ目とは構造が著しく相違する。

また、第2引用例は円筒の穴の内部にブローチを用いて溝をつけて嵌合固着する構造例も示唆している。しかし、ブローチ加工は切削法であるので、溝の両脇に膨隆部が形成されることはなく、本願発明の前述のような構造はブローチ加工では形成しえない。

2 審決は、本願発明と各引用例との相違点(1)について、「引用例の如き嵌合手段が精密機器における慣用手段であると認められるので、この点に格別の相違は認められない。」としているが、この判断は誤つている。

レンズを支承する場合には周知のように極めて高精度の軸心を作る技術を必要とする。特に、円筒の軸心とレンズの光学上の軸心とが正確に一致しなければならない。本願発明では、押圧の手段を採用して、溝を形成すると同時にその両脇に「突条」を形成しているので、自動的に厳密な軸心が作り出される。

さらに、レンズはごく軽く突条の上に装着しなければならない。レンズの設置時にレンズが必要以上に圧力を受けることがあつてはならないからである。

これに対し、第1引用例及び第2引用例に記載の嵌合手段は、これをレンズマウントにそのまま適用しても、本願発明の構成とはならず、もちろん本願発明の如き効果も奏し得ない。

第1引用例及び第2引用例に示されているローレツトによるすじ目を利用した圧入法は軸心が得がたく、かつ加圧力が強いのでレンズマウントには適さないものである。ローレツト加工式の圧入法について、第2引用例の第81頁第9行、第10行に、「この圧入法の欠点は、平滑な円筒面の圧入に比べると、部品が圧入後多くはその軸心から外れ、従つて精度がよくないということである。」と記載されている。

第3被告の陳述

1  請求の原因1ないし3の事実は、いずれも認める。

2  同4の審決取消事由の主張は争う。審決に原告主張のような誤りはない。

1 原告は、本願発明は「内壁面」、そこに「押圧された溝」及び「溝の両脇にできた膨隆部」の組合せであり、その点が引用例のものと相違するところ、審決はその相違点を看過した旨主張するが、本願発明の要旨(明細書の特許請求の範囲)は、溝の数を少くとも3か所とするだけで、溝の数の最大限がどの位か、溝をどのように配置するかが一切限定されていない。したがつて、溝が3か所のときは120度間隔で内壁面をへだてて配置されると推定されるものの、溝が増加して内壁面全体を溝と膨隆部で埋めつくし内壁面がなくなるものも本願発明に含まれると考えられる。

したがつて、本願発明は必ずしも「内壁面」、「溝」及び「膨隆部」の3つの組合せとはいえないものであるから、審決には、引用例との対比において、原告のいう相違点の看過はない。

2 本願発明における突条の作り方も、引用例に示されたローレツト加工も、共に押圧により凸部の形成が行われるものであるから、その個々の突条の精度において本質的な相違は生じないはずであり、第2引用例のものが精度が悪く軸心外れが起きやすいというならば、本願発明もそれと同じ程度の精度の悪さが生ずるはずである。レンズマウントには、軸心合せ、軸方向の位置決め、レンズの傾きなどに精度が要求され、またレンズは強固に保持されなければならないなどの問題があるが、本願発明のものがレンズを精度良く取り付けられる理由は不明である。

第4証拠関係

記録中の該当欄記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

1  請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、審決にこれを取消すべき違法の事由があるかどうかについて判断する。

本願発明は、当事者間に争いのない発明の要旨から明らかなように、「レンズ支承用」の突条を備えた「筒状のレンズマウント」であるところ、およそ筒状のレンズマウントなるものを製作する場合には、レンズの光軸と筒状体の中心軸線とが正確に一致するように作る必要があることはいうまでもなく、本願明細書(成立について争いのない甲第2号証)中にもこのことは、本願発明の当然の前提となる旨記載されている(第2頁第13行ないし第15行、第4頁第18行ないし第5頁第2行)ところである。

これに対し、成立について争いのない甲第8号証によれば、第1引用例は、板体構造物にその一部を突出させかつ内壁に軸方向のローレツトをもつ結合筒部を形成し、この結合筒に軸を圧入してなる軸取付装置に関するものであり、板体構造物に軸を簡単かつ容易に取り付けることを目的としたものであつて、この構造のものにおいては、結合筒部の中心線とこれに取り付けられる軸の中心線とを正確に一致させることは期待されてもおらず、また不可能のことであると認められる。

また、第2引用例(成立について争いのない甲第9号証)には、円筒に軸を圧入固定する際、軸の周辺に多数のすじ目をつけたり、円筒の内部にブローチを用いて溝をつけて、両者を嵌合固着するものが示されているが、第2引用例自体に「この圧入法の欠点は、平滑な円筒面の圧入に比べると部品が圧入後多くはその軸心からはずれ、したがつて精度がよくないということである。」(第81頁)と記載されているように、第2引用例のものも第1引用例のものと同様、円筒と軸の各軸心を正確に一致させることは期待されてもいないし、また期待できないものと認められる。

そうすると、嵌合するものとされるものとの軸心の正確な一致の要否及び能否について考察することなく、本願発明とこれと技術分野の異なる第1、第2引用例のものとを比較し、両者は円筒内に断面円形の物体を嵌合固着させるために円筒内壁に複数の膨隆部からなる支承用の突条を設ける点で同一であるとし、たやすく本願発明は第1、第2引用例の記載から当業者が容易に発明し得たものとした審決はその判断を誤つたものであつたといわねばならない。

審決は、引用例のような嵌合手段が精密機器における慣用手段であると認められるから、本願発明がレンズマウントにおける嵌合であるからといつて、その点に格別の相違を認めることはできないとの趣旨をいうが、精密機器とはどの範囲のものをいうのか、その定義が明らかでなく、本願発明と引用例のものを共に精密機器に関するものとして一括してしまうことは、はなはだ妥当を欠くものと言わなければならない。

被告は、レンズマウントには軸心合せ、軸方向の位置決め、レンズの傾きなどに精度が要求され、またレンズは強固に保持されなければならないなどの問題があるが、本願発明のものがレンズを精度良く取り付けられる理由は不明であると主張するが、もし本願明細書にそれらの点をいかに解決したかということについての記載がないとするならば、それは本件特許出願が特許法第36条第4項、第49条第3号に基づいて拒絶されるかどうかの問題であつて、本願発明が引用例の記載から容易に発明し得たものであるかどうかという問題とは異なるものであるから、被告の主張は理由がない。

3  以上のとおり、審決は引用例とすべきでないものを引用例とした点において誤つており、違法であつて取消を免れず、その違法を理由に取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(髙林克巳 杉山伸顕 八田秀夫)

〈以下省略〉

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